同等学力日语

考试试题

[单选题]程よく空いた電車の中で、暖かい日差しを浴びながら、【71】五、六歳の男の子が、しきりに隣に座った母親に話しかけている。「厚木って、かあさん、みなん厚着してるからだよね。」母親は当惑気味に微笑んでいるだけだ。空いているので、男の子の声は、車内の隅々にまで聞こえてしまう。【72】この子は変わった単語を知っているものだ。もしかして家には年寄りもいて、厚着がいいとか悪いとかよく話題になるのだろう、などと思う。 電車が次の駅につくと、今度は「エビナって、かあさん、エビがたくさん取れるんだよね。」母親の返事がないものだから、「じゃないかな?エビが無いから、海老名なのかな。」こんな小田急線の地名解釈につくり込まれているうちに、【73】私はもう降りなければならなかった。この子は何と頭のいい子なんだろうと思いながら。いや、頭のいいのはこの子にかぎらない。この年頃に子供たちは、大人が永遠に失ってしまった、言葉の獲得にとっての、あの黄金時代のさなかにいるのだ。言葉はまだ響きの中に生きていて、子どもはその響きと対決し、自分なりに解釈し、秩序付けようとして、必死でもがいているのだ。【74】そんなとき、大人は決して、文字や書物の「注1」さかしらな知識を、「注2」振りかざして、子どもの実験をからかってはならない。大人の知識は、自らの経験を超えた他力によるものだが、子どもの解釈は、ひたすら自力で挑んだ作品である。【75】 「注1」さかしら:自以为是 「注2」振りかざす:大肆标榜(自己的)主张 75、筆者が一番言いたいことは何か。
[单选题]幸福について二つの考え方がある。 ( 56 )、幸福を外的な条件に求めるものと、内的な 状態とするものと、客観的と主観的、物質的と精神的と言ってもよい。すべての幸福はこ の二つの立場に要約される。 幸福とは外的なもの、単に精神的なものではなく、物質的なものである。私たちは 57こ の考え方を決して軽蔑することはできない。幸福は精神的なものであると言って物質的な 幸福をおろそかにすることは、自らを欺くことであるのみならず、精神的な幸福を失うこ とにもなる。着るもの、食べるもの、住む所があることは幸福である。健康に恵まれ、友 達に恵まれることは幸福であり、これに反してそれを欠くことは不幸である。これは当た り前のことだが、案外認められていないように思われる。 けれども、この外的な幸福を固定的に考え、58これがなければ幸福ではないと考えると、 大きな誤りに陥ることになるだろう。健康であることは確かに幸福だが、病気の者が必ず しも不幸だとは限らない。たとえ体が丈夫でも気持ちが安らかでないならば、幸福とは言 えないし、たとえ衣食住が十分でなくても、平和な気持ちで暮らしている人は幸福である。 この点で、幸福は外的な条件に左右されるのではなく、気持ちの持ち方にあるというのは やはり本当だ。自分で自分は不幸だと思っている人は不幸であるし、自分は幸福だと思っている人が幸福なのである。人はあることによって苦しめられるよりも、そのことについ て抱く自分の考え方によっていっそう苦しめられるものだ。健康を害したり物質的な不自 由によって不幸であるよりも、それらを不幸だと考える方によって人はいっそう自分を不 幸にするものである。 幸福を単に物質的なものと考えて、59幸福を外に求めているかぎり、私たちの欲望は強 まり、不満は止むことがない。現に恵まれているささやかなものの中に私たちが喜びを見 出すならば、そこには大きな幸福があるに違いない。 57.「この考え方」は次のどれか。
[单选题]植物のにおい わさび??大蒜??レモンなどの植物のにおいは、蝿??鼠などの小動物にも、? いろいろな種類の植物にも、強い影響を与えることが分かってきた。また、紫蘇?大根??玉葱などのにおいも、かびの繁殖を抑えたり、小動物を弱らせたりする作用をもつことが分かった。(56)?椿の花粉に玉葱や大蒜のにおいを当てたときには、たいへん注目すべき事実が見られた。成長中の花粉に、玉葱のにおいを一秒間当てただけで、一時的にではあるが、花粉管の生長は停止した。五??六秒間当てると、生長が完全に止まったあと、花粉管の先端が風船のようにふくれてきた。57?このような現象はたいへん珍しいことで、成長中の花粉に大量の放射線を照射したときの花粉管の状態とよく似ていた。植物は、太陽の光を用いて、自分で澱粉などの栄養分を合成しているので、動物のように他の生物を食べる必要はない。しかし、自分の体を食べに来る動物からは身を守る必要がある。植物を食べに来た動物は、その植物の周りに自分に害になるようなにおいが[?注?1]?立ちこめていると、敬遠して逃げ(58)?。無理に植物の体に食いついたりすると、つよういにおいの作用で動けなくなってしまう。また、?枝が折れたり葉が[?注?2]?ちぎれたりしてきたとき、においは、傷口から侵入しようとする細菌類を撃退する役割を果たす。植物のにおいは、59?彼らが進化の過程で身につけた、自衛のために武器の一種だったのである。[?注?1]立ち込める:弥漫[?注?2]ちぎれる:破碎 57?.「このような現象」とは、どんな現象なのか。
[单选题]古本屋 わたしは、町を歩いていて古本屋かあると、必ずのぞいてみる。古本屋の店の造りはどこも同じで、あまり広くもない間口の中央を本棚でしきり、入り口が二つになっている。人ひとり立つと、いっぱいの51通路の両側に天井までぎっしり本が詰まっている。奥の方には、並べ切れない本が山のように積み上げてある。その間の52わずかのすきまに、店の主人が、トランジスターラジオを聞きながら店番をしている。 わたし53( )、あの古本特有のにおいが何とも言えない魅力である。54それに誘われて店内をひとまわりする。おびただしい本の数であるが、整然と分類されている。わ たしは専門の歴史の前に立ち止ってぎっしり並んだ本の背を上から下へと見ていく。55目にとまったものがあれば、抜き出して手に取ってみる。表紙、とびら、目次、奥付などをちょっと見て、序文を読み、ページをばらばらめぐる。ときには一部を立ち読みする。表紙裏のねだんを見て、手ごろなら、その場で買ってしまう。どうしてもほしくてさいふをはたいて買い、歩いて帰ってきたこともある。買わずにそのまま出てきても、56何の気がねもない。わたしの散歩も、たいていそういう古本屋めぐりである。 53.( )に入れるものを、次から選びなさい。
[单选题]タンザニアの留学生 彼の一年の滞在はあっという間に過ぎた。その間に彼と会ったのはわずか三回だけだった。私の方が旅で忙しく、家にいることが少なかった。(51)わたしは彼に会うのが楽しみだった。私の家族もそうだった。彼は二度私の家へ来てくれた。私たちは彼からさまざまなことを教わった。彼は?52?はじめて私の家へ来たとき、こんなことがあった。小さいテープルの前で長い足を折り曲げて胡座をかく彼の姿勢のことから、日本の生活習慣と彼の祖先の地であるアラビア半島のオーマンの人の生活習慣とが似ているという話になった。彼はアラビア系タンザニア人だったのだが、そのオーマンでも、ふだん胡座をかいて座るし、また玄関で履物を脱いで家に入るというのである。胡座のことも(53)?、玄関で履物を脱ぐという話は私には意外であった。履物を脱ぐという意味では、タンザニアに行く前に立ち寄ったパキスタンやイランの回教寺院で、人々が履物を脱いで内庭に入って行くのを見たことがあるが、しかし普通の家庭の中で54?そうするのは見たことがなかったし、また家の中の構造も履物を脱ぐようにはできていなかった。そのパキスタンやイランの向こうのアラビア半島の一角で、日本人と同じように履物を脱いで家に入り、胡座をかいて座る習慣のある人達がいるらしいというだけで、わたしはうれしくなった。そしてそのオーマンの人の血を受けたという55?彼の存在が、ぐっと近いものに感じられたことであった。[?注?]胡座をかく/?盘腿坐 54.「そう」の指し示す内容は、次のどれか。
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