同等学力日语

考试试题

[单选题]コンピーター社会 私たちの生活はコンピューターのおかげで、このごろ大変便利になってきた。 旅行に行きたいとする。指定券を買いに、「みどりの窓口」に行く。「みどりの窓口」はコン ピューターによってオンライン化されているから、空席があれば、どこの窓口でもすぐ買え る。 そして旅に出る。65現金はそんなに持って出る必要はない。たとえば東京の支店に預金 口座のある場合、北海道の札幌にいても、南の九4411 Gこいても、現金を引き出すことができる。 これは、ほとんどの都市銀行が専用の通信回線を使って、北海道から沖縄までひとつのコン ピューターシステムを作りあげたからだ。どの銀行のどの支店でも現金が引き出せる。そ れも即座に引き出せる。66以前には考えられなかったことだ。 しかし、コンピューターだって機械だから、故障することもある。そんな時は日本全国で お金が引き出せないという、困ったことになる。もっとも、67そんな話は聞いたことがない から、あまり心配する必要はなさそうだ。 その他にも、電気ガス水道料金の請求書、給料の計算書、私たちの身近なところで、68 コンピュー夕一からはじき出されたものがたくさんある。学校の先生は、「コンピューター のおかげで、試験や成績の分析が大変楽になった」と言われるし、マスコミ業界の人は「ラ ジオテレビの番組編成、選挙速報、新聞紙面制作が正確に短時間でできるようになりまし た」と言われる。コンピュー夕一の利用について書こうと思ったら、69一冊の本が必要なく らいだ。今後もあらゆる分野で、コンピュー夕一は活躍するようになるだろう。 68.「コンピューターからはしきだされたもの」とあるが、具体的にどれを指すか。次から選びなさい。
[单选题]この三年ほどかけて、東京新宿のデパートで、販売員の社員研修にかかわっていまし た。 その中で気づいたのは、販売員のお客様との距離の問題です。ある日、ネクタイの売り 場に、四十代ぐらいの男性が一人、スタスタとまっすぐな一直線の動線を描いて入ってき ました。歩き方のスピードは、街中よりは遅いものの、デパート内の買い物の場面として は速い方です。51視線がショーケースの上に取り出して陳列してあった数本のネクタイの うち、真ん中あたりのものに止まりました。その瞬間、ぐっと近寄った販売員が間髪を入 れずに「いらっしゃいませ、いかがですか。そちら、今年流行の柄です。」 するとこの男性客は、まるで販売員の言葉を無視するかのように、何と逆の方向へ歩き 出してしまったのです。52もちろんネクタイは、買わずに、です。 これが客を追い払ういわゆる「客追い動作」と呼ばれるものです。 販売員がせっかくのチャンスを逃してしまった主な原因は何だったのでしょうか。 その答えこそが、「販売員の対人距離のパフ?ーマンスの失敗」なのです。つまり、失敗 の第一の理由は、「距離の接近のいきすぎ」にあります。私たちはみな、見知らぬ他人に対 して、この範囲内までは近寄らないでほしいという、最小限の私的な空間というものを持 っています。ですから、その範囲を超えて 53見知らぬ人が侵入してくることに対しては、 「回避」の衝動が発生するわけです。これにはもちろん、その人の属する文化による違い があり、さらに個人差もあって、54かなり複雑です。 欧米での調査結果では、約 3 メートルに及ぶ 55この距離が、私が 1985 年から採り続けて いる日本人対象の実験データでは、1.2 メートルぐらい。これはつまり、平均的な大人なら ば、お互いに少し手を伸ばすと、相手に触れることが可能な距離です。だからこそ、そこ まで他人にだしぬけに近寄られると、お客様は逃げてしまうわけです。 もちろん、数回会ってすでに顔見知りになっている仲とか、友人、恋人はこの限りにあ らず、です。 注:間髪を入れずに/立即 パフ?ーマンス/表演 55.「この距離」とは、どんな距離か。
[单选题]文章を書くということは、自分の感じや考えを書くことであります。立派な文章とは、自分の感じや考えが立派に、(56)美しく表わされていることであります。そして、文章の書き方は、書く人の感じや考え方から離して考えることはできません。(57)、そういう考えや感じをどうしたらうまく、立派に、美しく表現できるかということです。このことは、文章を書くのは、ものを感じたり、考えたりすることなので、(58)、書いていけばよいのです。簡単にいうと、自分の思うままに、感じるままに、書いて、それが立派な、正しい、美しい文章になれば一番よいのです。(59)、実際にはなかなかそうはいきません。どうしてそうなのでしょうか。それはその人がものを正しく、美しく感じたり、考えたりすることをしていないから、文章を書くと、その文章が乱れたり、(60)であったり、浅はかであったりすることになります。しかし、また逆に文章を書くことは、自分で、自分の感じや考えが正しいか正しくないか、浅いか深いかを反省する方法であり、それに(61)、その人の感じ方や考え方を、正しく立派に、秩序立てていくことでもあります。少し混雑したようですが、文章を書くことと、人間の感じ方、考え方には、そんな相互関係があるわけです。まずこのことを十分に考えて(62)ことが大切です。文章を正しく書くということは、ものを正しく感じたり考えたりすることが必要です (63)、文章を美しく書くということは、その人がものを美しく感じたり考えたりできなければなりません。しかしまた文章を美しく正しく書くことが、ものを美しく感じたり、考えたりすることにも(64)。ぐるぐるまわりのような言い方ですが、文章を書くこととものを感じ、考えることとの間の関係は分けて(65)、そうなるのですが、美術は文章を書くという一つの仕事に、こんな因果関係が同時に働いているのです。 56选择?
[单选题]幸福について二つの考え方がある。 ( 56 )、幸福を外的な条件に求めるものと、内的な 状態とするものと、客観的と主観的、物質的と精神的と言ってもよい。すべての幸福はこ の二つの立場に要約される。 幸福とは外的なもの、単に精神的なものではなく、物質的なものである。私たちは 57こ の考え方を決して軽蔑することはできない。幸福は精神的なものであると言って物質的な 幸福をおろそかにすることは、自らを欺くことであるのみならず、精神的な幸福を失うこ とにもなる。着るもの、食べるもの、住む所があることは幸福である。健康に恵まれ、友 達に恵まれることは幸福であり、これに反してそれを欠くことは不幸である。これは当た り前のことだが、案外認められていないように思われる。 けれども、この外的な幸福を固定的に考え、58これがなければ幸福ではないと考えると、 大きな誤りに陥ることになるだろう。健康であることは確かに幸福だが、病気の者が必ず しも不幸だとは限らない。たとえ体が丈夫でも気持ちが安らかでないならば、幸福とは言 えないし、たとえ衣食住が十分でなくても、平和な気持ちで暮らしている人は幸福である。 この点で、幸福は外的な条件に左右されるのではなく、気持ちの持ち方にあるというのは やはり本当だ。自分で自分は不幸だと思っている人は不幸であるし、自分は幸福だと思っている人が幸福なのである。人はあることによって苦しめられるよりも、そのことについ て抱く自分の考え方によっていっそう苦しめられるものだ。健康を害したり物質的な不自 由によって不幸であるよりも、それらを不幸だと考える方によって人はいっそう自分を不 幸にするものである。 幸福を単に物質的なものと考えて、59幸福を外に求めているかぎり、私たちの欲望は強 まり、不満は止むことがない。現に恵まれているささやかなものの中に私たちが喜びを見 出すならば、そこには大きな幸福があるに違いない。 59.「幸福を外に求めている」とあるが、これと同じ態度や考え方を表しているものとして、 次のどれが適当か。