同等学力日语

考试试题

[单选题]幸福について二つの考え方がある。 ( 56 )、幸福を外的な条件に求めるものと、内的な 状態とするものと、客観的と主観的、物質的と精神的と言ってもよい。すべての幸福はこ の二つの立場に要約される。 幸福とは外的なもの、単に精神的なものではなく、物質的なものである。私たちは 57こ の考え方を決して軽蔑することはできない。幸福は精神的なものであると言って物質的な 幸福をおろそかにすることは、自らを欺くことであるのみならず、精神的な幸福を失うこ とにもなる。着るもの、食べるもの、住む所があることは幸福である。健康に恵まれ、友 達に恵まれることは幸福であり、これに反してそれを欠くことは不幸である。これは当た り前のことだが、案外認められていないように思われる。 けれども、この外的な幸福を固定的に考え、58これがなければ幸福ではないと考えると、 大きな誤りに陥ることになるだろう。健康であることは確かに幸福だが、病気の者が必ず しも不幸だとは限らない。たとえ体が丈夫でも気持ちが安らかでないならば、幸福とは言 えないし、たとえ衣食住が十分でなくても、平和な気持ちで暮らしている人は幸福である。 この点で、幸福は外的な条件に左右されるのではなく、気持ちの持ち方にあるというのは やはり本当だ。自分で自分は不幸だと思っている人は不幸であるし、自分は幸福だと思っている人が幸福なのである。人はあることによって苦しめられるよりも、そのことについ て抱く自分の考え方によっていっそう苦しめられるものだ。健康を害したり物質的な不自 由によって不幸であるよりも、それらを不幸だと考える方によって人はいっそう自分を不 幸にするものである。 幸福を単に物質的なものと考えて、59幸福を外に求めているかぎり、私たちの欲望は強 まり、不満は止むことがない。現に恵まれているささやかなものの中に私たちが喜びを見 出すならば、そこには大きな幸福があるに違いない。 56.( )に入る言葉として、次のどれが適当か。
[单选题]最近では日本でも、医者は患者と家族に対して、詳しい病状と可能な治療法( 61 )きちんと説明した後、どの方法で治療に取り組むかを、合意の上で決定( 62 )ようになってきた。( 63 )、患者が治る見込みのない末期ガンなどの場合、患者本人にありのままの病状をに知らせるかどうか( 64 )と、これは病院の方針、担当医師の性格や考え方、家族の希望など( 65 )まちまちの対応がとられているのが実状である。最近新聞社が行った世論調査でも、この点では複雑で微妙な回答が示されており、医者が態度を決めかねるのも当然だと( 66 )。 調査( 67 )、「もし、自分が末期ガンで、残る命が限られている場合、そのことをはっきり知らせてほしいか」という問いに対して、「そう思う」と答えた人は、「そう思わない」と答えた人のほぼ2倍弱に上った。( 68 )「自分の家族がそうなった場合、( 69 ) ことを本人に知らせると思うか」という問いに対しては、前問で「そう思う」と答えた人の割合をはるかに上回る割合の人が否と答えたのである。この矛盾をどう見るか。なぜ知ることより知らせることを避けようとするのか。これは、果たして思いやりなのか責任回避なのか、愛の強さなのか弱さなのか。そして家族のこの心理と、担当医師の心理とはどのような関連があるのか。いずれに( 70 )、現在の日本では、末期ガンの告知には大きな課題が残されていることは確かなようだ。
[单选题]最近では日本でも、医者は患者と家族に対して、詳しい病状と可能な治療法( 61 )きちんと説明した後、どの方法で治療に取り組むかを、合意の上で決定( 62 )ようになってきた。( 63 )、患者が治る見込みのない末期ガンなどの場合、患者本人にありのままの病状をに知らせるかどうか( 64 )と、これは病院の方針、担当医師の性格や考え方、家族の希望など( 65 )まちまちの対応がとられているのが実状である。最近新聞社が行った世論調査でも、この点では複雑で微妙な回答が示されており、医者が態度を決めかねるのも当然だと( 66 )。 調査( 67 )、「もし、自分が末期ガンで、残る命が限られている場合、そのことをはっきり知らせてほしいか」という問いに対して、「そう思う」と答えた人は、「そう思わない」と答えた人のほぼ2倍弱に上った。( 68 )「自分の家族がそうなった場合、( 69 ) ことを本人に知らせると思うか」という問いに対しては、前問で「そう思う」と答えた人の割合をはるかに上回る割合の人が否と答えたのである。この矛盾をどう見るか。なぜ知ることより知らせることを避けようとするのか。これは、果たして思いやりなのか責任回避なのか、愛の強さなのか弱さなのか。そして家族のこの心理と、担当医師の心理とはどのような関連があるのか。いずれに( 70 )、現在の日本では、末期ガンの告知には大きな課題が残されていることは確かなようだ。
[单选题]文章を書くということは、自分の感じや考えを書くことであります。立派な文章とは、自分の感じや考えが立派に、(56)美しく表わされていることであります。そして、文章の書き方は、書く人の感じや考え方から離して考えることはできません。(57)、そういう考えや感じをどうしたらうまく、立派に、美しく表現できるかということです。このことは、文章を書くのは、ものを感じたり、考えたりすることなので、(58)、書いていけばよいのです。簡単にいうと、自分の思うままに、感じるままに、書いて、それが立派な、正しい、美しい文章になれば一番よいのです。(59)、実際にはなかなかそうはいきません。どうしてそうなのでしょうか。それはその人がものを正しく、美しく感じたり、考えたりすることをしていないから、文章を書くと、その文章が乱れたり、(60)であったり、浅はかであったりすることになります。しかし、また逆に文章を書くことは、自分で、自分の感じや考えが正しいか正しくないか、浅いか深いかを反省する方法であり、それに(61)、その人の感じ方や考え方を、正しく立派に、秩序立てていくことでもあります。少し混雑したようですが、文章を書くことと、人間の感じ方、考え方には、そんな相互関係があるわけです。まずこのことを十分に考えて(62)ことが大切です。文章を正しく書くということは、ものを正しく感じたり考えたりすることが必要です (63)、文章を美しく書くということは、その人がものを美しく感じたり考えたりできなければなりません。しかしまた文章を美しく正しく書くことが、ものを美しく感じたり、考えたりすることにも(64)。ぐるぐるまわりのような言い方ですが、文章を書くこととものを感じ、考えることとの間の関係は分けて(65)、そうなるのですが、美術は文章を書くという一つの仕事に、こんな因果関係が同時に働いているのです。 64选择?
[单选题]文章Ⅱ 「子供のころ、親に褒められた記憶があまりない。しょっちゅう怒られていた」と、先日姉に話すと,「芙美子は気が利くのにあんたは、ってよく言われた」と言う。「それ、私には言わなかったんじゃないの」と応えると、「そんなことはない」と姉は言う。でも覚えていない。 父が晩年、糖尿病で食事を制限されている時に、食卓から食べてはいけないものを遠ざけると「どうしてお前はそういうことをするんだ」と怒られた。気を利かせたのに、である。私は几帳面だが、1度上司に「あんたといるとまわりのみんなの息が詰まる」と言われ、異動希望を出すと通った。 長所と短所は紙一重だと思う。判断の基準も人によって違う。几帳面さも気が利くことも一般的には長所だと思うのだが、私はどちらも短所として扱われた方が記憶に残っいる。どちらも損な性格のような気がしてならない事務所内の蛍光灯がチカチカしているのに、誰も取り替えようとしない。行動予定表の名札を50音順に並べてもあっという間に順番が崩れてしまう。そんなことは誰も気にしないようで、私一人がイライラし、ストレスをためている。 のんきな人がうらやましい。結婚してもくつろげない家庭になりそうだ。彼女は少しボーッとしていた方が、癒やし系でいいのかもしれない。 47.「気を利かせた」とあるが、具体的に何を指すか。
[单选题]どこの家でもそうだと思うが、母親というのは特に物持ちがよくて、時々あっと驚かされることがある。20年も前のセーターを今でも着ていたり、30年も前に使っていたカーテンを未だに押入れの奥にしまっていたり…、中でも自分の子供に関係する類の物は、今や何の役にも立たないと分かっていながら、後生大事に取ってある。 むろん46僕の母親も例外ではない。つい先日も、押入れの奥から47驚くべきものを出してきて、僕をあっと言わせた。その時、僕は母親と差し向かいで、お茶を飲みながら、昔の話に花を咲かせていた。大学時代の僕が、48海のものとも山のものともつかないのに、いつもこつこつ原稿を書いていたという話題になった時、母親は急に何か思いついたような顔をして、「そういえば、あなたの…、あれは何か、カードみたいなものがいっぱいあるけど」というようなことを言った。何のカードなのか僕自身にも全然分からなかったので、ちょっと見せてくれと頼んだところ、押入れの奥から風呂敷に包んだ五百枚近いカードを出してきたのである。 一目見て、僕はそれが何であるのかを思い出し、声を上げそうなほど驚いた。それは僕が19歳から20歳にかけての約一年半、勉強のつもりで記していた日記のようなカードである。俗に「京大式カード」と呼ばれるもので、裏は真っ白、表には何本かの罫線が引いてあるだけのシンプルなカードである。当時の僕はこれを使って、まず個人的な読書カードを作り始めた。短編小説を一篇読んでは、一枚の京大式カードに読後感を記していたのである。半年もしないうちにカードはかなりの枚数になり、だんだん面白くなってきたので、今度は自分なりの小説論とか、自分の書いている小説の欠点、あるいは徒然に思うことなどをここに記すようになった。 十数年を経た今、このカードを改めて読んでみると、その勤勉さ、49その暗い情熱には頭の下がるものがある。20歳の僕が本当に心から、何が何でも小説家になりたいと願っていたことがよく分かる。 僕は5020歳の原点に還るべく、再び京大式カードをつけてみようかと考えている。 注:後生大事/很重视 花が咲く/热闹起来 差し向かい/相对 シンプル/简单,单纯 徒然/闲得无事 46.「僕の母親も例外ではない」とあるが、それはどういうことか。
[单选题]電車の中に立っている乗客が何か紙切れのようなものを広い、落とし主に渡したらしい。 こちらからは見えなかったが、受け取った人が「アリガト」といった。口の聞き方は男み たいだが、声は女性である。おやと思って、そちらへ目を向ける。56見たところではど ちらとも決めかねる。こういう時、髪型で判断できることが多いが、この人は両性的なス タイルだ。決め手は声だけか。それで、いつかイタリア料理のレストランであったことを 思い出した。そこは男性トイレがへやの左側、女性用は反対の右側にある。男性風の客が 右の女性トイレへ入っていこうとした。見ていた店の女主人が後姿に向かって57「そち らは…」といいかけた。客が「え?」と聞き返す。女の声だ。店の人は慌てて「あっ、い いです」と言った。この客、後姿はもちろん、前から見ても男そっくりで、勘違いされて もしかたないと店の人に同情した。 さっきの電車の乗客は「アリガト」の58男みたいな調子と女の声がじっくりしないの で、気になったのである。この頃、男女の言葉の違いが少なくなってきた。女言葉がある のはおかしいとはっきり言う人もいる。わざと乱暴な言葉を使っているらしい女子高校生 は別として、若い女の人がごく自然に「…したんだ」、「 …なあ」と言う。それに周りもそ れほど驚かなくなった。 小説の中で男女2人の会話なら、いちいち話し手を示さなくても、言葉づかいでどちら が話しているのかがわかる。こういう手もだんだん通じなくなるだろう。 メーキャップすれば、見た目はかなりごまかせる。テレビで時代劇に出てきたタレント が現代劇に登場すると、同じ人とは思えないことがある。59そういうときも声が結び付 けてくれる。声はメーキャップできない。男女の区別は、声が一番確かな手がかりだと考 えてきたが、この頃、男のような電話の声の女の人がちょいちょいいる。 注:メーキャップ/化粧。タレント/演员。 60.本文によると、男言葉、女言葉の使いわけはどんなときに役に立つのか。
[单选题]“居眠り”は体によいことなのですか? 答えはイエスでもあり、ノーでもあります。単純には判定できません。もともと昼寝は、 幼児期には毎日の習慣であったのが、学齢期になると許されなくなったものです。 51これは、学校や一般社会が決まった時間表を持っていて、昼寝をやめさせてしまう からです。多くの文明国では、自宅での昼寝はともかく、学校や職場での昼寝や居眠りは 悪徳だとする考えが支配的のように見えます。公共の場での仮眠は、わずかに乗り物とか 公園とか映画館のようなところでしか容認されていないようです。 人間の眠気を時間を追って記録すると、夜間の睡眠に向けて増大するばかりでなく、正 午を過ぎたころにも小さなピークが出現します。52このピークを、単なる気の緩みと見るか、休息の必要性の現れとして社会が容認するかどうかで、成人の睡眠パターンに昼 寝が組み込まれるかどうかが決まってきます。人間の眠りは、生理的な欲求よりも文化的 拘束面のほうが優先するのです。 しかし一方では、多くの文明国で、( 53 )、能率の低下にとどまらず、判断の誤り や交通事故などがこの時間帯に多発しています。 もちろん、主睡眠期の夜間に無理して働いている場合には、さらに深刻な問題が発生し ていることはよく知られているとおりです。これらの現象は、われわれが自然の原理を軽 視した54「代償」を受けているということになるのでしょう。 そんなわけで、無理して起き続けるより、少しだけ昼寝して脳を休息させるのは理にか なったことです。ただし、昼寝によって生物時計の針が狂わないように、また、夜間の主 睡眠の内容に大きな変化を与えないように、むやみに長く寝ないように気をつける必要が あります。 注:仮眠/打盹儿。眠気/睡意。ピーク/最高峰。代償/补偿。 52.「このピークを、単なる気の緩みと見る」とあるが、どうなるのか。