同等学力日语

考试试题

[单选题]私はここで文化と文明を区別したいと思う。文化という言葉( 56 )文明を含めて表現するのが一般的 で、文化と文明の区別は普通は明らかに認識されていない。しかし文化と文明を区別することは非常に 大事である。 しばしば日本文化と言う。( 57 )その代表としてすぐ「わび」とか「さび」ということが出てくる。「さび」はも ともとサブという動詞の発展的な使い方だが、日本で独特の展開をしたのである。これは本来は何なのか。 日本は北緯 35 度の線の南北に( 58 )島国で、周りは海で、雨が多い。気候は温暖で、ひどく寒いと か、ひどく暑いという( 59 )。その自然とわれわれがつき合っているつき合い方の中から出てきたもの、つま り日本という自然から( 60 )ものが「わび」「さび」である。これ( 61 )われわれは日本文化の象徴として 教えられた。これはインドに持っていくこともできなければ、ヨーロッパに持っていくこともできない。アメリカに 持って( 62 )、「わび」とか「さび」は通用しない。われわれが日本文化と言っているものは、このように実 は日本の地球上の位置から生じる( 63 )一つの特性にすぎない。 文化とは地球上の位置( 64 )持つ自然に伴って生じる地方性である。それに対して、文明とは広く生 産に関係する技術、精神世界に関する思考の体系。世界中どこに( 65 )持っていくことができ、広がっ ていくことができる。世界に共通するもの、技術と論理、それが文明である。 57选择?
[单选题]日曜日の朝、かすかな音に目覚めて起き、ふと庭を見ると、高校生になったばかりの 46 長女が、今しも 47 洗濯物を庭いっぱいに干し終えようとしていた。 「お母さん、もう起きたの?」 弾んだ声の娘が家の中に入ってきた。 「どうしたの?一体。何かまだ夢見たいよ。」 「今日は母の日ねえ。労働力をプレゼントすることにしたの。」 「きっと雨になるわよ。」茶滓までグッと飲み込み、キャベツをいそいそと刻み始めた 娘の背中をいつもより頼もしく思った私だった。 私が、この娘の母親になって、まる9年になる。小学校に入学する時で、校門での写真 には母親一年生の 48 私も子供と同じような緊張した顔で写っている。3歳という一番母 親を慕う時期に実母と引き離され、3年ほど後に、父親の再婚相手である私の懐にひたすら母親の匂いを求めて飛び込んできた小鳥のような子だった。私も確かに深い感動と責任 感に半ば震え、そして戸惑いながら、49 その小さい肩を抱きしめたのだった。 初めての遠足の時、新米ママも張り切ってお弁当を作った。おにぎりの弁当箱に箸を添え、もう一つの弁当箱には好きなおかずをいっぱい詰めて持たせた。もう食べてるかなと お昼頃、想像する楽しさも格別だった。ところが、50 夕方、帰ってきた子のリュックを 解いてみて驚いた。おにぎりの方は空っぽだが、おかずの方には何も手をつけていず、朝 のままなのである。がっかりしている私に、子供の説明が戻ってきた。 「だって、それはお箸がついてないもん。」 このエピソードは今も生きていて、中三の遠足でも、お箸は一組でいいのと冷やかすと、 もう言わないでよと笑い転げた。 いろんなことがあった9年間だった。やはり継母育ちでは……と他人に言われたくないために、私自身が必要以上に気を張り、娘にも厳しくなって、幾度寂しさをなめさせてきたことかと悔やまれる。私自身の疲れや苛立ちから、理不尽な叱りかたをしたこともあっ たと思いもするのである。 注:リュック / 帆布背包 48.「私も子供と同じような緊張した顔で写っている」とあるが、なぜ緊張したのか。
[单选题]古本屋 わたしは、町を歩いていて古本屋かあると、必ずのぞいてみる。古本屋の店の造りはどこも同じで、あまり広くもない間口の中央を本棚でしきり、入り口が二つになっている。人ひとり立つと、いっぱいの51通路の両側に天井までぎっしり本が詰まっている。奥の方には、並べ切れない本が山のように積み上げてある。その間の52わずかのすきまに、店の主人が、トランジスターラジオを聞きながら店番をしている。 わたし53( )、あの古本特有のにおいが何とも言えない魅力である。54それに誘われて店内をひとまわりする。おびただしい本の数であるが、整然と分類されている。わ たしは専門の歴史の前に立ち止ってぎっしり並んだ本の背を上から下へと見ていく。55目にとまったものがあれば、抜き出して手に取ってみる。表紙、とびら、目次、奥付などをちょっと見て、序文を読み、ページをばらばらめぐる。ときには一部を立ち読みする。表紙裏のねだんを見て、手ごろなら、その場で買ってしまう。どうしてもほしくてさいふをはたいて買い、歩いて帰ってきたこともある。買わずにそのまま出てきても、56何の気がねもない。わたしの散歩も、たいていそういう古本屋めぐりである。 51.「通路」はどれほど狭いか。次から選びなさい。
[单选题]この悠々たる人生の行路で青春( 61 )はいったいなんであろうか。これもまたぼく らにとって常に古くかつ新しい疑問なのではなかろうか。 「若い時は二度とない。」これはよく人々が青年に( 62 )言う言葉である。二十歳を越した青年でこれを親なり目上の人からなり聞かされたことのない人はいないであろう。 しかし、この言葉の意味を本当に考えてみた人は、おそらく( 63 )多くはないのでは なかろうか。「若い時は二度とない。」だから( 64 )よとか、好きなことをして遊べと か、この言葉の解釈は様々につくであろう。 ( 65 )この平凡なことわざがあまねく人口に膾炙しているのは決して単にそれがめ いめいに勝手な解釈を許すからではなく、( 66 )それがどのような解釈をしても貧乏揺 るぎもせぬある厳しい事実の端的な表現だからではなかろうか。( 67 )どんなに精出し て励もうと、または故意にのらくらして過ごそうと、ぼくらの若い時代というものはただ 一度( 68 )ない。二度とそれを取り返すことは誰にも絶対に不可能だ。この誰も疑い得 ぬ、だが誰しも忘れがちな人生の真実をこの言葉はぼくらの胸に訴えるのではなかろうか。 また更に考えて( 69 )、二度とないのは決してぼくらの青春だけではない。ぼくらの一 生もまた疑いもなく二度と生きられぬものである。子供の時代も老年の時代も一度過ぎ去 れば、ぼくら( 70 )再び生きられない。これもぼくらが普段は忘れがちな大きな事実 である。
[单选题]日曜日の朝、かすかな音に目覚めて起き、ふと庭を見ると、高校生になったばかりの 46 長女が、今しも 47 洗濯物を庭いっぱいに干し終えようとしていた。 「お母さん、もう起きたの?」 弾んだ声の娘が家の中に入ってきた。 「どうしたの?一体。何かまだ夢見たいよ。」 「今日は母の日ねえ。労働力をプレゼントすることにしたの。」 「きっと雨になるわよ。」茶滓までグッと飲み込み、キャベツをいそいそと刻み始めた 娘の背中をいつもより頼もしく思った私だった。 私が、この娘の母親になって、まる9年になる。小学校に入学する時で、校門での写真 には母親一年生の 48 私も子供と同じような緊張した顔で写っている。3歳という一番母 親を慕う時期に実母と引き離され、3年ほど後に、父親の再婚相手である私の懐にひたすら母親の匂いを求めて飛び込んできた小鳥のような子だった。私も確かに深い感動と責任 感に半ば震え、そして戸惑いながら、49 その小さい肩を抱きしめたのだった。 初めての遠足の時、新米ママも張り切ってお弁当を作った。おにぎりの弁当箱に箸を添え、もう一つの弁当箱には好きなおかずをいっぱい詰めて持たせた。もう食べてるかなと お昼頃、想像する楽しさも格別だった。ところが、50 夕方、帰ってきた子のリュックを 解いてみて驚いた。おにぎりの方は空っぽだが、おかずの方には何も手をつけていず、朝 のままなのである。がっかりしている私に、子供の説明が戻ってきた。 「だって、それはお箸がついてないもん。」 このエピソードは今も生きていて、中三の遠足でも、お箸は一組でいいのと冷やかすと、 もう言わないでよと笑い転げた。 いろんなことがあった9年間だった。やはり継母育ちでは……と他人に言われたくないために、私自身が必要以上に気を張り、娘にも厳しくなって、幾度寂しさをなめさせてきたことかと悔やまれる。私自身の疲れや苛立ちから、理不尽な叱りかたをしたこともあっ たと思いもするのである。 注:リュック / 帆布背包 46.「長女」と筆者はどんな関係か。