同等学力日语

考试试题

[单选题]灯台守 道は起伏に満ち、上っては下り、下ってはまた山の背へと導かれる。左は宇和海が太平洋に続き、右は瀬戸内海である。 51?佐田岬半島は、まさに巨大な、天然の堤防である 。わたしは、今、陸の孤島を歩いている。この実感は、一昨日の夜、特急「あさかぜ」で東京をたって、まだ、まる二日にもなっていないという場面の急転によってもたらされたものであろう。 わたしは、今、初夏の陸の孤島を歩いている。半島十三里の中の、おそらくはたったひとりの旅人として。 わたしは、やがてたどり着く、この半島の突端に建つ灯台に住む 52?灯台守の姿を思い浮かべてみた。そこには、何人の家族が住んでいるであろうか。職員はどんな表情で私を迎えるであろうか。 今までに、?いくつかの灯台を私は訪れたことがある。T?県の?N?灯台を訪れたときは、作家の田宮虎彦氏といっしょであった。53?あのときの職員は、旅行者などに[?注?1]?食傷しているといったふうな顔つきで、将棋のこまを持つ手を休めず、「今は休憩時間だ」と[?注?2]?すげなく言った。 しかし、?54?やがていくつかの起伏を上下して、たどり着いた灯台でわたしが見た職員の姿は、あの?55?N?灯台の人の印象とはちがっていた。彼は、わたしがまだ灯台の階段を上がらぬうちから、わたしの姿をはるかに見おろして、人なつかしそうな表情を浮かべた。三十五、六人であった。その顔には、いくらかの空虚感と、職業に対する異常な愛情とがあふれていた。[?注?1]食傷:? 厌烦[?注?2]すげない:冷淡的 54.「やがて」はどの文節にかかっているのか。
[单选题]この悠々たる人生の行路で青春( 61 )はいったいなんであろうか。これもまたぼく らにとって常に古くかつ新しい疑問なのではなかろうか。 「若い時は二度とない。」これはよく人々が青年に( 62 )言う言葉である。二十歳を越した青年でこれを親なり目上の人からなり聞かされたことのない人はいないであろう。 しかし、この言葉の意味を本当に考えてみた人は、おそらく( 63 )多くはないのでは なかろうか。「若い時は二度とない。」だから( 64 )よとか、好きなことをして遊べと か、この言葉の解釈は様々につくであろう。 ( 65 )この平凡なことわざがあまねく人口に膾炙しているのは決して単にそれがめ いめいに勝手な解釈を許すからではなく、( 66 )それがどのような解釈をしても貧乏揺 るぎもせぬある厳しい事実の端的な表現だからではなかろうか。( 67 )どんなに精出し て励もうと、または故意にのらくらして過ごそうと、ぼくらの若い時代というものはただ 一度( 68 )ない。二度とそれを取り返すことは誰にも絶対に不可能だ。この誰も疑い得 ぬ、だが誰しも忘れがちな人生の真実をこの言葉はぼくらの胸に訴えるのではなかろうか。 また更に考えて( 69 )、二度とないのは決してぼくらの青春だけではない。ぼくらの一 生もまた疑いもなく二度と生きられぬものである。子供の時代も老年の時代も一度過ぎ去 れば、ぼくら( 70 )再び生きられない。これもぼくらが普段は忘れがちな大きな事実 である。
[单选题]幸福について二つの考え方がある。 ( 56 )、幸福を外的な条件に求めるものと、内的な 状態とするものと、客観的と主観的、物質的と精神的と言ってもよい。すべての幸福はこ の二つの立場に要約される。 幸福とは外的なもの、単に精神的なものではなく、物質的なものである。私たちは 57こ の考え方を決して軽蔑することはできない。幸福は精神的なものであると言って物質的な 幸福をおろそかにすることは、自らを欺くことであるのみならず、精神的な幸福を失うこ とにもなる。着るもの、食べるもの、住む所があることは幸福である。健康に恵まれ、友 達に恵まれることは幸福であり、これに反してそれを欠くことは不幸である。これは当た り前のことだが、案外認められていないように思われる。 けれども、この外的な幸福を固定的に考え、58これがなければ幸福ではないと考えると、 大きな誤りに陥ることになるだろう。健康であることは確かに幸福だが、病気の者が必ず しも不幸だとは限らない。たとえ体が丈夫でも気持ちが安らかでないならば、幸福とは言 えないし、たとえ衣食住が十分でなくても、平和な気持ちで暮らしている人は幸福である。 この点で、幸福は外的な条件に左右されるのではなく、気持ちの持ち方にあるというのは やはり本当だ。自分で自分は不幸だと思っている人は不幸であるし、自分は幸福だと思っている人が幸福なのである。人はあることによって苦しめられるよりも、そのことについ て抱く自分の考え方によっていっそう苦しめられるものだ。健康を害したり物質的な不自 由によって不幸であるよりも、それらを不幸だと考える方によって人はいっそう自分を不 幸にするものである。 幸福を単に物質的なものと考えて、59幸福を外に求めているかぎり、私たちの欲望は強 まり、不満は止むことがない。現に恵まれているささやかなものの中に私たちが喜びを見 出すならば、そこには大きな幸福があるに違いない。 60.本文のまとめとして、次のどれが適当か。
[单选题]電車の中でうとうとしていたので、半分夢を見ているような感じだった。駅の名前を聞いて、慌てて降りた。ホームは冬の厳しい空気(56)張りつめた感じがしていた。(57)をしっかり巻き直して改札を出た。 タクシーに乗って宿に行ってほしいと告げたら、運転手さんは場所がわからないと言った。新しい小さな宿だし、だいたいの住所で降ろして(58)ことにした。まわりは畑ばかりで、遠くに滑らかな山が見えた。宿を示す小さな看板を見つけて、私はその指示(59)、細い坂道を登って行った。(60)いたその時、私は前方に知っている誰かの気配を感じた。 家の前の道路にアロエがはみ出して困ったね、という話題が出たのは、去の冬のことだった。 父も母も私も、妹が300円(61で)買ってきて庭に植える所がないからと玄関脇に植えたアロエのことなど、すっかり忘れていた。雑誌が何かの影響を受けて、アロエは万能だ!だから飲むとか、傷口(62)貼るとか、しきりに言っていた妹もすぐにそのアロエ熱から冷めて、世話(63)レなくなった。(64しかし)、水もろくにやらず、陽当たりもそれほどよくなかったのに、アロエは育っていった。育ちすぎて、気づいたら木のようになり、道に大きくはみ出し、さらに気色悪い形をした真っ赤な花(65)咲かせていた。